火移しの儀式が行われる噴水広場に出た。
 通りに人が少ないと思ったら、広場にぎっしりと集まっている。特にクォパティ寺院の前には長い行列が出来ていて、寺院の入口を塞がないように横手に回り込むよう、衛兵に誘導されている。並んでいる人々は町人もちらほらと見えるが、炊き出しの恩恵にあずかろうとする冒険者がその大半を占めていた。寺院の裏手に回り込む行列の長さをみてフィアが苦笑する。
「もう随分と並んでるわね。とりあえずここからだと見渡しがきくから、儀式を見てからにしようか」
 辺りをぐるっと見渡してみる。広場から放射線状に延びている道のうち、一番街に通じる道が封鎖されている。白い房飾りの付いた槍を持った衛兵が、道の入口に一列に並んでいるのだ。その辺りには木製の演壇のようなものが置かれている。視線を上げて行くと、人気のない道はわずかに上り坂になって、その先には市庁舎の高い壁がそそり立っている。


 クォパティ寺院の敷地は高い塀で囲まれていて、正門は噴水広場に向けて造られている。その正門は今、木の柵で囲われて人が出入りできないようにしてある。正門の上に櫓が築かれ、高いところに黒い外套を着た僧侶たちが数名立っている。櫓の脇には即席の階段があるらしく、イルファーロ周辺の教区を束ねるリベルト司祭が上がってきた。司祭は白い貫頭衣を身に着け、紫色をした細長い帯を肩から裾に下して胸元で交差させている。リベルト司祭は寺院内で怪我人の看護をさせたり、冬場に炊き出しをしてくれたりするので、冒険者には人気のある司祭様だ。細い目をした柔和そうな顔をしている。


 ざわついた噴水広場に、正午を知らせる鐘の音が鳴り響いた。鐘の最後の音が尾をひいて消えると、広場は静寂に包まれた。
「何が始まるんだい?」
 ルメイが小声で聞くと、フィアは唇に指をあててみせた。
 静けさの中を、シャーン、シャーンという鐘を鳴らす音が近づいてくる。封鎖された無人の道を、衛兵の隊列がゆっくりと下りてくる。手には銅鑼を持っていて、それを金属の撥で叩きながら歩いている。やがて衛兵は噴水広場の前に達して左右に分かれた。衛兵の隊列の中からイルファーロ市長が現れる。刺繍のはいった前身頃の長い赤茶色のベストを身に着け、濃紺のコートを羽織っている。胸元と袖口にはレースの飾りがついて、脛を覆う白いホーズを履いている。


 イルファーロ市長は衛兵に導かれて演壇の上に登ると、集まっている群衆を見渡した。そして一つ咳払いをして、よく通る声を出した。
「皆さん、イルファーロへようこそ。市長のリースです、どうぞお見知りおきを」
 市長が胸に手を当てて会釈をする。
「今日は春分節の日、恒例の火移しの儀を執り行います。この祭が始まった日、先王御自ら読上げた祝いの言葉を、市政を預かるわたくしが代理で読ませて頂きます」
 市長は衛兵から巻物を受け取ると、それを縦にすっと伸ばした。


 水ぬるむ春と、豊穣の秋
 その恭順に応うるため
 ニルダの火を佳き街に還さん
 王は盟約を忘れず
 恭順の民の誉いや増す
 王化の道は果てなく
 人も人の形をした者も
 願わくは蜜月に至らんことを


 市長が巻物を畳んで衛兵に戻すと、大きく一度、銅鑼がシャーンと鳴らされた。それを合図に道を塞いでいた衛兵の列が左右に開き、燭台を掲げた衛兵が前に出た。燭台は龍のレリーフが彫り込まれた金属の箱で囲まれ、その四面に褐色の玻璃が嵌めてある。大きさは兜ほどだが、相当の重量に見える。昼だというのに燭台は眩しいほどの輝きを放っていて、尋常の品でないことが判る。火移しの儀式を初めて見たが、どうもこの燭台が「ニルダの火」らしい。かつてイルファーロが戦乱を避けてディメントの王と和約し、王がその恭順に対して自治を認めたという歴史を思い出す。


 燭台を掲げた衛兵と、前後左右を守る四人の衛兵がクォパティ寺院に向かって一歩ずつ歩いてゆく。群衆は息を詰め、ニルダの火の輝きに魅入った。こういう物が世の中にあるのならば、やはり魔法は存在するのだという畏怖に似た感情が呼びさまされる。寺院の入口を塞いでいた柵が左右に開き、やがて衛兵たちが門の奥に吸い込まれていくと、入れ替わりに燭台を掲げた僧侶が櫓の上に登ってきた。僧侶が恭しく櫓の梁に燭台を吊るすと、その瞬間に寺院全体が微光に包まれた気がする。ニルダの火のそばに立ったリベルト司祭が一歩前に出て群衆に向かって声をかけた。


「イルファーロにニルダの火が還ってきました。今日この時から明日の正午まで、街はニルダの火に照らされて明るく輝くことでしょう。ことの初めに、盟約を違えぬ大王に御礼を申し上げます」
 司祭が目礼すると、演壇に乗っている市長もこれに応えた。 
「火は日没とともに旧市街へと移され、夜市が開かれます。当院に自治の象徴たるニルダの火がある間、商会の登録をしていない者も旧市街に限って自由に商いをすることが出来ます。路地ごとに出店できる数に限りがありますので、良い場所が取りたい方は後程当院に並んで札をもらって下さい」
 噴水広場に集まった人々が少しずつ活気を取り戻してきた。フィアが俺とルメイを振り返ってにこりと笑い、すぐに視線を戻した。何が始まるのだろう。


「わたしの挨拶はもうすぐ終わりです。この後、当院から祭にお集まりの皆様に、ささやかながら種なしパンを振る舞わせてもらいます。手前どもは普段そのまま食していますが、皆様のお口に合いますよう、豆と挽肉を煮た具を用意してあります。順番に並んでお召し上がり下さい」
 寺院の入口のすぐ外側にテーブルが幾つか置かれた。テーブルにはクロスが敷かれ、薄い円形に焼かれた種なしパンが並べられた。パンはまだしっとりと湯気をあげている。その脇に大鍋が五つ置かれ、木の柄杓を手にした僧侶たちが具をすくいとってパンに乗せる準備を始めた。味のついた豆が煮える匂いがする。広場に集まった者たちの上げる小さな感嘆の声が重なり合う。


「最後に注意を」司祭がいたずらっぽく笑って手のひらを立てて見せた。
「当院が街を治める一日のあいだは禁酒とさせてもらいます。皆さんよろしいでしょうな?」
 広場に不満の声と物音が満ちた。不平の言葉を口にする者、足を踏み鳴らす者、親指で地面を指す者など、実に騒々しい。俺は首を傾げた。夜市では酒が振る舞われるという話を聞いているが、どうして司祭がそんなことを言うのか判らない。俺とルメイはきょとんとして、楽しそうに腕を突きだすフィアの様子を眺めた。司祭は大げさに手を広げてみせる。
「まさか皆さん、お祭りに浮かれて禁酒令を破ろうというのではないでしょうな?」
 不満の声が一層高くなる。俺は何となく落ち着く先が想像できて口の端が丸まった。群衆は不平を鳴らしながら司祭の言葉を待っている。


「致し方ない。それでは特別に、アブルールの神に感謝を捧げて飲むならば赦されることと致しましょう」
 司祭の言葉に拍手喝采の波が起きた。禁酒とその解禁はお祭りの定番の茶番のようだ。司祭は歓声に負けじと大きな声を出した。
「自治権のうち一部を市長に委ねます! 衛兵による警邏を願います! 悪酔いする者は叩き出して下さい!」
「しかと請け負った!」市長も大声で返す。
「それでは皆さん祭をお楽しみ下さい!」
 司祭が手を上げて櫓から降りた。炊き出しの盛り付けが始まったので、行列の先頭の者たちが殺到した。市長も演台から立ち去って道路の封鎖も解けた。火移しの儀式は終わり、噴水広場の人々も自由に動き始めた。


「それじゃルメイのために並びましょ」
 フィアが先に立って歩き始めた。
「そんなまるで俺が食い意地はってるみたいに言わなくても」
 ルメイが不平を漏らすと、フィアがその背後にまわって背中を押した。
「いいからほら早く!」
 もうもうと湯気のたつ大鍋から柄杓で具をすくった僧侶たちが種なしパンにそれを乗せると、傍らの僧侶がパンを折りたたんでテーブルの上に置く。その料理が並んでいる人たちに次々と配られていく。俺たちはそんな光景を横目に眺めながら、行列の最後尾を目指して寺院の裏側に回り込んだ。


 少しずつ進む行列に合わせて、壁に張り出された懸賞首の手配書を眺める。これまでに何度も目にしているが、他に見るべきものも無いのだから仕方ない。
 大金が懸けられた数名の手配書はひときわ大きな紙で貼り出されている。最古参の手配書には色褪せた文字で、フランツ・リヒテンシュタインと書かれている。犯した罪は大逆罪、生死を問わず捕えた者には金貨二千枚が与えられる。文字の下には、四角く顎のはった押し出しの強そうな男の似顔絵が描かれている。小さな襟を立てたボタンの多い上着を着て、襟元には大きな襞飾りがついているので、いかにも体格の良い貴族然として見える。しかし、かつてのデルティス公がどこかで生きているとしても、こんな恰好ではいられないだろう。


 五年前に王都アイトックスで行われた閲兵式の日、デルティスの領主にしてリヒテンシュタイン家の当主フランツ・ヨセフは大逆罪で逮捕された。式典の場は帯剣が許されない場であったにもかかわらず、列席していたフランツの家来が暗器を隠し持っていて、ディメント王に斬りかかったのだ。ディメント王は傷を負ったが命をとりとめ、フランツの家来はその場で侍従長のバイロン卿に成敗された。世にいうデルティスの変である。


 捕縛されたデルティス公は翌日に王城の地下牢へ移される予定だったが、その夜のうちに脱走していずこかへ逃れた。バイロン卿の指図でデルティス城に急行した近衛隊は、反乱を準備していたデルティス公フランツの息子二人を逮捕した。しかし当の本人であるフランツの姿は城にはなく、それ以来五年に亘って姿をくらましたまま、賞金首となっている。当時はフランツ・ヨセフ・フォン・リヒテンシュタイン・ド・デルティスと呼ばれていたが、今では爵位も領地も取り上げられ、ただフランツ・リヒテンシュタインと表記されている。


 噂が噂を呼んで、瓦版が飛ぶように売れていたのを思い出す。病弱な国王が未だ世継ぎに恵まれていないため、王権をめぐる冷たい闘争は宮廷の水面下で日々行われていたが、それが一気に表沙汰になった事件であった。デルティス公フランツはディメント王の姉君を娶っており、王位継承権の上位にいた。侍従長のバイロン卿も外戚にあたり、権勢を振るっていた。王位を巡る争いはこの二人が拮抗する形で釣り合っていたのが、事件後一気に均衡が崩れた。リヒテンシュタイン家の当主フランツは失踪し、二人の息子は宮廷裁判にかけられ、王都アイトックスの英雄広場で斬首された。ディメント王は病床に伏すことが長くなり、バイロン卿は様々な要職を兼任して比類なき権勢となった。


 壁に貼られたもう一枚の大きな手配書。
 チコルの山賊頭、ネバ・ニエーバ。犯した罪は公金強奪、殺人、強盗など数知れず、生死を問わず捕えた者には金貨千六百枚、のところが二重線で消されて、金貨千八百枚、と書替えられている。実際に顔を見たことがある者が果たしているのか知らないが、乱雑に伸ばした黒髪が片目を覆うほどの長さで描かれ、切れ長の目の下に隈があり、青々とした不精ひげが顔の下半分を覆っている。がっしりとした顎をしていて、いかにも凶暴そうな顔つきである。剣術の腕巧みにして賞金稼ぎの諸君は注意されたし、と注記されている。


 もう一枚の大きな手配書。
 衛兵殺しの女剣士イレーネ。犯した罪は衛兵殺し、公金強奪など多数。生死を問わず捕えた者には金貨千枚、のところが金貨千二百枚、と訂正されている。今朝がた瓦版売りが口上の中で言っていた、徴税官の金を強奪した事件は、ネバとイレーネが組んでやったことらしい。二人とも懸賞金が増額されている。しかしこの似顔絵はどうなのか。恐らくまともな情報がないのだろう。イレーネの顔は自信のなさそうな乱れたタッチで描かれており、どうみても不器用な怪力の男が髪を伸ばしているようにしか見えない。女剣士イレーネは剣の手だれであるとか、いつも仮面を被っているとか、実は絶世の美女であるとか、様々に噂される女である。


 賞金が低くなるにつれて貼り紙は小さくなり、最後の方になると十把一絡げとなってほとんど重なり合うようにして貼りだされている。ゆっくりと行列の進む速さで目を通していても目まぐるしく、字も小さくなってほとんど読めない。俺はそれらの小粒な手配書に書かれた、好事家泥棒フィーネ、処刑人崩れゴア、夜盗ユリス、女盗賊フォイルといった文字を目で追った。そしてルメイとフィアに勘付かれないように気を付けながら、それらの小さな手配書の中に俺の手配書がまぎれているのを横目で確かめた。





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