網目のように路地の入組んだ旧市街を、欅並木が貫いている。 まだイルファーロが人間の王朝の支配下になく、エルフやポークルで賑わっていた時代の目抜き通りで、その頃の名残が色濃く残されている。旧市街の古い建物に、明らかに天井の低い家屋や、逆に見上げるような高い玄関を持つ建物があるのはそのせいだ。欅並木は幅が広く、中央には平らな石で舗装された馬車道が芯のように一本通っている。そこから両側に向かって欅の並木、露店などが出せる未舗装の沿道、建物に付随した水はけの良い舗装された歩道が縞のように連なっている。二番街につながる高台から見下ろせば、細い路地や小さな建物が密集したなかに線で引いたように太い並木道が続いているのが見てとれる。 フィアが宿として選んだのは、欅の枝が窓をこするような並木道沿いの建物で、大きな間口に両開きのドアが設えてあった。太いドア枠に「南イルファーロ」と優雅な書体で書かれた看板が付いている。建物は周囲と同様に砂岩煉瓦で建てられていて、やや天井が高く、通りから見上げてみると三階まであった。宿の入口の前で、フィアが背嚢を地面に置いて革鎧のあちこちを手で叩き始めた。石畳でブーツを踏みしだいて泥を落としている。俺とルメイは慌てて真似をした。そうか。こういう宿に泊まるのは俺たちのような冒険者ばかりではなく、普通の旅人や商人もいる。スラムとはわけが違うのだ。 ドアを抜けて建物の中に入ると壁に絵がかかったロビーがあり、フィアはその奥にいるフロントの女性に声をかけた。スラムの黒鹿亭でしていたように片手をあげて「俺だよ」で済ますわけにはいかず、久しぶりに羽根ペンをとって宿泊帳簿にセネカとだけ記した。ルメイも続いて記帳した。フィアは落ち着いたもので、こうした宿にも泊り慣れている様子だが、俺はついつい視線をあちこちに走らせてしまう。 受付の女性に案内されて薄暗い階段を上る。外装の煉瓦がむき出しになっておらず、壁も天井も黒に近い色をした木材が貼ってある。よく手入れされていて、壁はてらてらと黒光りしている。こんな宿を経営していたら、毎日どこかを磨いていなければならないだろうと思い、感心すると共に辟易する。背嚢にくくりつけた盾が階段の手すりや壁を擦らないように気を付けながら進んでいたら、踊り場のところで危うく躓きそうになった。皆が振り向くので、手で制して大丈夫大丈夫と小声で言う。どうにも調子が狂う。 フィアのとった部屋は最上階の三階にあった。扉を開けると応接室になっていて、木肌色をしたローテーブルと一対の駱駝色の革ソファ、壁際には小物入れと燭台置きといった具合に落ち着いた雰囲気の家具調度でまとめてある。床には一面に柔らかな絨毯が敷かれ、天井からは小さいながらも装飾の施された燭台が吊るされている。冒険者になって以来、こういう部屋には泊まったことがない。兵士だった頃も宿といえば師団の宿営地のことで、天幕やテントを渡り歩く日々であった。贅沢な部屋を喜ぶ気持ちはなく、まず真っ先に思うのは勿体ない、ということだった。 「お食事の支度が整いましたら声をかけさせてもらいます」案内してくれた女性が笑顔で言う。「料理は三人分でよろしいですか?」 「はい、そうして下さい。二人分は追加でお支払いしますわ」 受付の女性が会釈をして立ち去った。堂々と受け答えする女冒険者のフィアと、部屋の豪華さに気後れしている二人の男の組み合わせをどう思っただろうか。俺とルメイは荷物を担いだままおそるおそる応接室の奥に進んだ。そこはどうやら居間らしく、食事ができる丸テーブルに背もたれのある椅子が四脚ついている。壁には暖炉がついていて、金具の柵の中に薪が積み上げられ、火掻き棒が立てかけられている。居間から横手に寝室へつながっていて、細長い部屋に厚手のカバーが被せられたベッドが三つ並んでいるのが見えた。俺は足音に気を付けるかのような足取りで続き部屋を見回っている。まるで遺跡の探索だ。主室はその三室で、それ以外に欅並木が見下ろせる小さなバルコニーと浴室があった。なんだか旅先に来たような気分だ。 バルコニーから戻ってきたルメイがフィアに声をかける。 「この部屋は幾らするんだい?」 フィアは居間の片隅に荷物を下してまとめているところだったが、のっそり近寄ってきたルメイの腕をポンポンと叩いた。 「いいのいいの、気にしないで。さすがに一人では勿体ないなと思ってたところだから、ちょうど良かったのよ」 フィアが上品な笑顔を浮かべているので、ルメイもつられて笑う。 「すまんね、フィア。しかし昨日の宿とは大違いだな」 フィアが首を傾げて、昨日の宿? と聞いてきたが、ルメイは部屋を見回しながら口ごもってはっきり答えなかった。馬小屋に泊まったとは言いづらい。 注意深く探索をすれば宝物を見つけることがある。俺は猫脚を象った大きめの浴槽の縁に石鹸受けを見つけた。そして驚くべきことに、そこに初手がついていない角の立った石鹸が鎮座しているのを見つけた。俺は川で水浴びをしたり裸になって肌着を洗ったりしたことはあるが、石鹸というものは久しぶりに見た気がする。そっと浴室に入ってきたルメイが、石鹸が熱くて触れないといった風に指でつつきながら、これは新品の石鹸だぞ、と囁いた。冒険者用の雑貨屋では売ってない、一箱六個入りで銅一枚ほどする奴だ、などと見立てている。俺も調子に乗って、この石鹸はおそらく宿代に含まれていて、俺たちはこれを使っても良いことになっているのだぞ、と答えた。 「ちょっともう、お上りさんみたいな真似はやめて!」 様子を見に来たフィアが大声を出すので、俺たちも居間に戻って荷物の整理を始めた。 フィアは荷物の中から綺麗に折りたたんだ罠の網を出した。それは仕舞われている時はほんの一塊に過ぎないのに、広げると両手差し渡し一杯ほどの大きさになった。 「門外不出の道具立てを、お二人にとっくりお見せするわよ」 フィアは三種類の網を見せてくれた。一つ目はツノムシ用の網で、長方形をしている。拳がやっと通せるほどの幅広の網目になっていて、縄の交差したところから小さな輪が飛び出ている。指が何本が通るくらいの本当に小さな輪だ。四隅からは紐状の縄が伸びていて、これをつかって木の幹にぐるっと縛り付けるのだそうだ。この罠が巻いてある木に登ってきたツノムシは、無数の輪に脚の突起がからまって身動きが取れなくなるのだと言う。 もう一枚は円形の投網で、これもツノムシ用らしい。端を持つとちょうど両手いっぱい位の大きさになる網で、蜘蛛の巣のような形に編んである。網の外周には足の親指ほどの分銅が八つ、しっかりと結び付けられている。フィアはその中央をもって網を持ち上げてから、自分の周囲を見回した。 「投げて見せようかと思ったけど、ここではちょっと無理ね。飛んできた虫に投げて絡めて落とすの。明日あたり外で投げる練習をしましょう」 実際にやる前から俺にはうまくいきそうにない気がしている。剣以外のことを器用にこなす自信がない。なんとか練習してうまくなるより他なさそうだ。 最後の網は一番大きくて、見るからに刺々しい。縄の一本一本が寄り合わさっていて太く、一定間隔に鉤状に曲げた太い釘が括り付けられている。広げると釘が擦れてジャラジャラと音がする。これはコボルド用の網だという。 「コボルトを網で狩るの?」ルメイが素っ頓狂な声を出した。 「そもそもコボルトを狩るの?」俺もたまらず聞く。 「しょうがないのよ、狩場の近くまでコボルトも来るの。割に合わないから出来たら出くわしたくないのだけど」フィアは手をひらひらさせながら答えた。 俺はなるほどな、と言ったきり黙った。そんな網はいらない、俺は剣一本あればコボルトを狩ってみせる、とは敢えて言わなかった。フィアに同じことが出来る筈がなく、フィアなりにこうした道具立てで狩りを成立させてきたのだろう。俺が口を挟むようなことではない。 フィアが椅子やテーブルの脚を利用して罠を編む枠を作ってくれた。一番太い外周用の縄を椅子の足などに引っかけて長方形を作る。そこに縦横にシュロ縄を結び付けて罠用の網を編んでいく。フィアを真ん中にして二人でその手つきを真似るのだが、すぐに混乱してしまう。 「ちがうわ、セネカ。そこは右から先に通すの」 フィアが俺の結んだところを解きながら説明する。俺にはフィアのこだわりが良く判らない。 「このあたりは結ばれてればどっち向きでもいいんじゃないの?」 「全部きれいに同じ向きに結ばないと形が歪んじゃうし、収納する時に嵩張るの」 フィアは俺の結び方を直したかと思うと、今度はルメイのやっていることをじっと見ている。 「ルメイ、そこはもやい結びよ。わかるでしょう?」 「もやい結びってなんだい」ルメイは手を止めてフィアを見返している。 「紐を結んだことないの?」 「あるにはあるけど、結び方を気にしたことはないなあ」 フィアが床にひろげていた網から体を起こして膝立ちになり、俺とルメイを交互に見た。 「ちょっと、二人とも冒険者なんでしょう?」 「すまんなフィア、慣れるまでは勘弁してくれよ」と謝るが、パーティーは微妙な雰囲気に包まれている。ルメイは口を突き出しながら、俺は罠師じゃないもんなあ、と不平を言っている。罠師のフィアにとって、紐の結び方も知らない俺たちは冒険者の風上にもおけないのかもしれない。 「それじゃ、輪結びの歌でもうたう?」 フィアが小首を傾げてルメイを覗き込む。ルメイは栗毛色の髪をくしゃくしゃと掻きながら面倒くさそうに、何だいそれは、と答えた。 (→つづく) |
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