夜道を歩く大勢の人を篝火が照らし出している。
 俺たちは荷物を持って宿を出て、木札が示す場所を探し歩いた。フィアが風防付の燭台を片手に、並木道の舗装されていない路面に打たれた杭の記号を読んでいる。俺は両脇にござを挟んで、ルメイは売り物を持って、人込みで見失わないように気を付けながらフィアの後をついて歩いている。通りに面した場所はクォパティ寺院で木札をもらわねば露店を開けないので慌てる必要はないが、それ以外の場所は早い者勝ちとなっている。燭台を手にした冒険者たちが篝火から離れた辺りの薄暗がりでござを敷く場所を探している様は、川辺の蛍の群れを思わせる。


「もっと明るいうちに来たら良かった」 
 愚痴をこぼすフィアが膝をついて杭の記号を読むのに顔を寄せると、燭台の明かりに照らされた横顔がぼうっと地面のそばに浮き上がった。そうこうしているうちに、フィアがこちらを見て小さく何度か頷いた。木札の番地を見つけたようだ。ござを敷いて四隅に適当な重石を乗せる。二枚つなげて置けるのでゆったりしている。椅子が無いのはどうしたものかとフィアに聞いたら、貸し椅子屋というのがあるらしい。そんな話をしている最中にちょうど通りかかったので、フィアがよく通る声で呼び止めた。
「椅子をひとつお願い!」
 はいよーと威勢のいい返事をして椅子屋がこちらへ来た。人足の格好をした男が先っちょに返しのついた短い天秤棒を肩に担いでいて、両端に椅子が鈴なりになっている。椅子は背もたれのないもので、中央に穴があり、紐を通して数珠つなぎにするとぴったり重なり合うように作ってある。こういう物を考える奴は大したものだ。一晩借りて銅一枚らしく、フィアが支払いをしている。


「椅子はセネカが使って。どっしり構えてる感じでお願いね」
 フィアが両手で持った椅子を渡してくる。
「俺はいいよ、フィアが使いなよ」
「わたしはお客さんの相手をするのよ」
 受け取った椅子をしげしげと眺める。荒削りの板を支柱で固定しただけの品で、これを持ち去ろうという気にもならない。しかもひっくり返して板の裏を見ると、屋号が焼き鏝で押してある。貸椅子白銀屋 夜市が終わったら並木道に放置しておくこと、余所で見かけた際は追加料金を頂きます、と書いてある。しっかりしたものだ。


 フィアがござの上に座り込んで手仕事を始めた。
 火を使うわけでもなかろうに、焚き付けにつかう細い木枝の粗朶を持って来たのでどうするつもりかと思ったら、ここで使うらしい。粗朶の中から調度いい長さのものを選んで数本ずつ束ね、しゅろ縄で縛ってまとめている。それを支柱にして直方体を組み上げ、交差するところをさらに縛る。そのままだと支えていないと倒れてしまうが、筋違をいれると、自分の力で立っている輪郭だけの箱が出来た。そこに黒い布をかけ、丈夫な角に燭台を置いた。これは即席の陳列棚だ。通りがかりの人が品定めをしようと思えばすぐ手に取れる高さになった。


 フィアが黒い布の上にブローチを二つ、指輪を四つ、コインと瑪瑙石を七つほど、綺麗に並べていく。口を半開きにしてコインに息を吹きかけ、袖で拭いている。売り物に伏せるようにして目を懲らしながら、丁寧に正札も置いている。フィアがそうして陳列している背後を、浮かれ気分で歩く人たちが流れていく。ブローチなどの金属部分が小さく輝いているのが見える。
「うまいこと並べたね」
 ルメイが感心して言った。
「去年もこうしたのよ。他の人がやってるのを見て真似したの」
 フィアは売り物が綺麗に見えるように燭台の位置を加減している。


「それじゃ、俺はちょっと風呂に入ってくるよ」
 ルメイがそう言って宿に戻った。宿が近いので気楽なものである。俺は椅子に座って背筋を伸ばし、拳を膝に乗せた。実は定点監視は近衛の得意技である。さすがに街なかなので剣を装備するわけにはいかないが、いちおう革鎧を装備して剣帯も身に着けている。ちんぴら風情がいちゃもんをつけてきたら拳に物を言わせる積りではある。


 通りの方に歩いて行って自分の露店の具合を遠目に見ているフィアの背中に、通行人がぶつかっている。フィアは鎧は身に着けず、亜麻服の上からショールを幅広にかけている。乾いてさらさらになった金髪が肩にかかっていて、冒険者にはとても見えない、町娘のようだ。フィアがすたすたと歩いて戻りながら声をかけてくる。
「セネカ、いかつ過ぎる。怖いよ」
「そうか」
 俺は緊張を解いてゆったり構えた。
「悪いけどもう少し後ろでお願い」とフィアは容赦ない。
「用心棒とか、どっしりとか、勝手なことを言うよなあ」
 俺が文句を言いながら椅子を下げると、フィアが申し訳なさそうに笑った。
「ごめんごめん、近寄りがたい雰囲気に包まれていたからさ」
 いっそ貸しベッド屋はいないのか。ごろんと横になって店番していたいものだ。


 すぐ隣の露店では雑貨を並べている。支柱で張り渡した棒に、革紐、剣帯、背嚢、皮袋といった品が吊るされている。早くも客が寄りついていて、何人かが売り物を手にとって眺めている。こうした品々は中古であることが普通で、見物人は破損していないか、血痕がついていないかをしきりに確かめている。
 反対側は側道に面していて、通り抜け用の通路になっている。角地のいい場所を占めたようだ。数歩あいた向こうには大きめの屋台があって、吊るした肉をナイフでこそいで串に刺して売っている。肉の焼けるいい匂いがして、すでに何人か並んでいる。これは強豪に囲まれたものだ。俺たちの露店はというと、ほんの小さな品々が置かれているだけで、どうにも目立たず分が悪い。周りを見回していたフィアも同じことを考えたらしく、燭台をひとつ増やして品物がよく見えるように工夫している。


 篝火の照らす光のなかを、次から次へと人が通り過ぎていく。人々の影が斜めに伸びて足早に交差していく。海から届く湿気た夜風が篝火の炎を撫でている。遠く夜空を見上げれば、道沿いの建物の影の向こうに曇りがちな月夜が広がっている。雲の輪郭が月光に照らされて手で触れそうに見える。露店を始めて暫くたつが、冷やかしの客が一人二人来たのみで寂しい。フィアは座り込んで肩を落としていたが、たまたま通りかかった貸し椅子屋を呼び止めて自分の椅子も用意した。椅子に座って足を組み、手甲で顎を支えたままじっとしている。


 風呂上がりのルメイがさっぱりした顔で戻ってきた。
「戻ったよ。どうだい、幾らか売れたかい?」
 ルメイがフィアに聞くが、フィアは浮かない顔をしている。
「全然。まだ一つも」
「そうかあ。なんて言うか、あれだよなあ」
 ルメイが両手を広げて空中を撫でるような仕草をするので、俺とフィアが思わず見つめた。なにか秘策があるのだろうか。ルメイは広げた両手をぴしゃりと合わせてから揉み手をしている。
「風呂上りというものは、こう、喉が渇くよな」
「飲みたいだけでしょ!」
 フィアが吹き出しながら言う。俺もくつくつと笑う。
「ちょっとその辺を見物して来てもいいかな?」
「はいはいどうぞ」とフィア。
「一杯だけだぞ」と俺も声をかける。ルメイは気もそぞろという顔で「わかってるわかってる」と言いながら人波のなかに消えていった。







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