「その籠を、金貨五枚で売ってくれんかな」
 俺もフリオも驚いてグリムの顔を見た。グリムは懐手をしながらこちらをじっと見ている。どうも本気で言っているようだ。
「この籠にそんな値打ちはありません。お気遣いは有難いですが、そんなことをしてもらう訳にはいきません」
 フリオが渡すまじと身構えるように背負籠の持ち手を握り締めながら首を横に振った。しかしグリムは淡々と話を続ける。
「わたしは今日、訳があって、おっかない親分さんに会いに行かなければならなかったんだよ。何としても伝えねばならないことがあってね」
 それは俺も拝見させてもらった。いざとなったらカリーム商会の会長は一人でも取り立てに来る、という姿勢を見せに行ったのだ。いや、用心棒を一人連れていたか。
「親分のいるのが賭場だと判っていたから、お義理にも少し遊んでいかねばならん。カモにされると思って金を用意してきたんだが、手心を加えられたようで、ちょっとした小遣いを稼いできた」
「それは良かったですね」
 フリオは動転して生返事をしている。
「というわけで、この金貨五枚は無くなってもおかしくなかったという訳だ」
 いつの間に出したのか知らないが、グリムの上向きにゆるく握った拳の中で、金貨が月明かりをかすかに反射している。


「ただの慈善ではない。自分の商売のことも考えている」
 フリオは暗がりで目をこらしているようだ。
「もしその背負籠を売ってくれるなら、この名刺を村に持ち帰ってもらいたい。名乗るのが遅れたが、わたしはカリーム・グリムバースといって、商会を経営しているのだよ」
 グリムがフリオに名刺を手渡した。フリオはそれをカンテラの所まで持って行って書かれていることを読んだ。しかしカリーム商会のことを知らないらしく、驚いた様子もない。
「カリームさん、これを持って帰って、どうしたら良いのですか?」
 フリオが名刺から顔をあげてグリムを見上げた。
「起きたことをありのまま話してくれたらいい。そして良かったら、わたしの考えを伝えて欲しい。金貨十枚分の荷を預けてフリオ君に一人旅をさせるのは危ない。カリーム商会なら、イルファーロよりよほど近いカオカ支店で納品を受け付けることが出来る、とね」
 フリオが名刺を持ったまま考えている。このグリムという男は、おそらく寝ても覚めても商売のことを考えているのだろう。というよりは、そうでなければ商会の経営など出来ないのだろう。
「それを伝えることは出来ます。でも売り先を決めるのは村おさで、僕じゃないんです……」
「かまわないよ。ただの提案さ」
 俺も金を持っていたらフリオを助けることが出来るのにな、と思う。こすからい冒険者ばかりを相手にしているので、フリオのような素直な青年は進んで助けてあげたくなる。


「どうだね、その背負籠をわたしに売ってくれんかね」
 フリオが苦しそうな顔をして悩んでいるので背中を押してやることにした。
「せっかく言って下さってるのだから、遠慮することはないと思うぞ」
 フリオがゆっくり頷いて背負籠を背から下した。
「僕一人ならともかく、村の皆が困ってしまうので、お言葉に甘えさせてもらいます」
「良かった。それじゃ、これを」
 グリムがフリオに金貨を手渡して背負籠を受け取り、さっそく背に担いでいる。フリオは手のひらの上の金貨を信じられないといった顔をして見ている。
「本当にありがとうございます。このご恩は忘れません」
 フリオ青年が立ち上がってお辞儀をした。
「いやいや、礼には及ばんよ。それから、大金をそんな所に入れておいたら危ない。どこか別の場所にしまうといい」
 フリオが受け取った金貨を腰につけたポーチに入れようとするのを見てグリムが注意した。フリオは判りましたと答えて懐中の小さな袋に金貨を詰めた。


「それと、セネカ殿」
 グリムが俺に向き直った。
「危ない目に合わせて申し訳なかった。賭場が街からあんなに離れた場所にあるとは思わなかった」
「いやいや、何事もなくて良かったですよ」
「今だから言うが、あのネバを名乗った男は、本物だったかもしれない」
「まさか」
 俺はおどけて答えてみせた。フリオ青年は思わずのけぞっている。グリムは何故あの男を本物のネバと思ったのだろう。
「わたしは商売をするのに沢山の物を運ばねばならん。そして隊商の馬車には必ず護衛を付けるようにしている」
「山賊があちこちに出ますからな」
「その通り。そういう経験を長くしているから、ネバと会ったことのある者と話をしたことがある。ネバは人相書きとは似ておらず、端正な顔立ちで、普段から役者のようなもったいぶった言葉使いをするそうだ」
 さすがカリーム商会の会長だけあって情報に通じている。ネバの向かいに座っていたのが賞金首のイレーネだったことを伝えたらどんな顔をするだろうか。


「そしてネバは、兵士あがりの剣士を手玉にとって遊ぶくらいの、剣の達人だそうだ」
 そんな風に言われると対抗心が湧いてくる。
「ルメイ殿と何年も一緒に暮らしていると聞いたのですっかり安心して頼ってしまったが、あんな奴が暴れ出したら始末に負えないことになっていたかもしれん。少し軽率だった」
 グリムがゴメリー親分のところへ督促に行くつもりだったとしたら、なかば俺に命を預けていたことになる。ルメイを通してそこまで信用するということは、ただの知り合いではあるまい。詮索したくなるが、ルメイが伏せておきたいと言うのだから無粋はやめておこう。


「セネカ殿、これを受け取って欲しい」
 グリムがコートの前を開き、腰に吊るしていた袋を外して取り出した。これはさっきの賭場で銀貨を入れるのに使っていた袋ではないか。俺はその重そうな袋を見つめた。
「ちょっと多すぎはしませんか」
 数えていたわけではないが、銀貨が数十枚は入っている筈だ。とても束の間の護衛の代金として受け取れる額ではない。
「ここから幾らか取り出して渡す気にならんのだよ。この金子の重みが、あの場に秘められた危険の重みだと思う」
 判るような、判らないような微妙な言いぐさだが、こんなところで迷っていても仕方ない。グリムもまさか俺を試しているわけではあるまい。
「そう言ってもらえるなら、貧乏人には有難い話です」
 グリムはもう何も言わずに袋を手渡してきた。ずしりと重い手応えを感じた瞬間に、金を稼いだという喜びが湧いてきた。
「こんなに沢山、ありがとうございます」
 俺は袋を掲げて頭を下げてから、それを懐に入れた。グリムは深く頷いた。
「今日の冒険は、これで仕舞かな」
 グリムがゆっくりと溜息をついた。


 俺はどうしても気になっていることを尋ねた。
「黒鹿亭に納めてるのはやはり、武器や防具ですか?」
「いや、食糧品だよ。乾燥肉や小麦、塩、それも大量にだ」
「そうでしたか」
 思わず首をひねってしまった。てっきりカリーム商会が黒頭巾たちの装備の供給元と思っていたのだが。
「わたしは根っからの商売人だが、さすがにそこまで冷血ではないよ」
「失礼しました。俺はスラムで寝起きしてるから見る機会が多いのですが、ゴメリーの手下どもはそろって軍隊なみの装備をしているのです」
 装備の話をしているうちに自分が短剣を吊るしたままなのに気付いた。街へ帰るならこのままではまずい。フィアから借りた短剣を剣帯から外して袋に入れた。


「ふむ。その武装をどこから仕入れているのか、気になるな。食糧にしても、どれだけの人数を賄うのか不思議になるくらい大量なんじゃよ」
 グリムは月を見上げながら口髭をしぼるようにして思案している。俺は静かにしているフリオを見て、彼がうつらうつらしているのに気付いた。俺の視線を追って、グリムもそれに気付いた。
「疲れてしまったようだな。そろそろ街へ戻りますか」
 俺がカンテラを持って立ち上がると、グリムが尋ねた。
「この子に宿を手配してやらねばならんが、心当たりはあるかね?」
「あります」と言い切ったが、うまくいくだろうか。
「それなら良かった。さて、夜も更けたし、帰るとしよう」
 グリムが立ち上がってコートの裾をはたいた。俺は頭をがっくりと落としているフリオ青年の肩をつついた。
「あ、すみません、もう出発ですね」
 フリオは立っている俺とグリムを見て慌てて立ち上がった。


 欅並木のところまで来ると篝火の明かりと人通りが見えてほっとする。俺たち三人は細道との辻の辺りで互いを見合って別れを惜しんだ。ここが寝静まった夜の街と明るく照らされた夜祭の分かれ目にあたる。短い間ではあったが、思えば不思議な縁であった。
 グリムが後ろ歩きをしながら手を振る。
「また会える日を楽しみにしておりますぞ」
「いつかまた」俺も手を振りかえす。
「色々とありがとうございました。お約束のこと、忘れません」
 フリオが頭を下げると、グリムはひとつ頷いてから背を向けて歩き始めた。その背にゆれる背負籠を、俺とフリオで暫く見送った。初めは変なお金持ちだなと思っていたが、この人も自分の信じる道をしっかり歩んでいるのだ。その余力で困り果てた青年をひとり救えるのだから、大したものだ。


 夜市というだけあってまだ多くの露店が開いているが、並木道を歩く人の数は減っている。とりあえずは露店に戻ってルメイとフィアに事の顛末を話して聞かせなければなるまい。二人ともフリオ青年を温かく迎え入れてくれるだろう。思えばいいパーティーだ。かつてのロック隊長のパーティーで同じことをしたら、何を勝手なことをしているのかとどやされただろう。だがまあ死んだ奴を悪く言うのはやめておこう。
「それじゃ、いったん俺たちの露店の所に行ってみよう。パーティーメンバーのルメイとフィアを紹介するよ」
「はい」
 フリオはいささが眠そうではあるが、元気よく返事をしてついてきた。その後に、我々の部屋に四人目を泊めていいかどうか、あの女主人にかけあってみよう。


 あの辺りが俺たちの露店だなと目星をつけて歩いてきたが、篝火に照らされた様子を見て心細くなる。そこには人気がなく、陳列棚に売物を置いたまま椅子に座ったルメイが居眠りをしている。フィアの姿は見えない。なんと不用心なことか。これでは泥棒に持って行ってくださいと言っているようなものだ。俺はルメイの後ろに回ってその大きな肩を揉みほぐした。
「あんまり飲むなと言ったよなあ」
 ルメイは体をびくりとさせてから首を回し、こちらを見上げてきた。
「セネカか、驚かすなよ。なあに、ほんの少し飲んだだけさ」
 ルメイは俺の顔を見てかえって安心した様子で、またゆらゆらと体を揺らしながら何事が呟いている。その息が酒臭い。


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