「わたしはホリー。あなたはセネカさんじゃない?」
 手配されている身としては、ずばり名前を言い当てられるのは心穏やかではないが、カリームの護衛から言伝を頼まれた経緯を知っているから動揺はしない。軽く「おや」という顔をしてみせた。
「……確かにそうだが、どうして俺の名を?」
 ホリーは微笑みを浮かべた目尻に人差し指をつけて勿体をつけてから、その指をぴっと俺に向けた。帽子からはみ出たひと房の銀髪が風に靡いている。
「わたしってばいい勘してる! 人は見えない所で呼び合うっていうからね」
 こののっぽの娘は特別に人あたりが良いらしく、愛想がなくて町人に厭われることが多い俺を前にしても平気でいる。
「えっとね、言伝を頼まれたの。黒髪の若い冒険者で、何人かでパーティーを組んでるセネカという人に会ったら伝えて欲しいって。相手はカリーム商会の護衛隊の人だよ」


 ルメイとフィア、フリオの三人が立ち止まってこちらの様子をみている。
「言伝の中身はこう。フリオ君を馬車で送る準備をして正門で待つ。もうすぐ出発って言ってたから、急いだ方がいいよ」
 なるほど。グリムがフリオをカオカまで送ってくれるという話だ。
「そうか、伝えてくれてありがとう」
 振り返ってきょとんとしているフィアに説明した。
「グリムさんだよ。グリムさんはカリーム商会に所属してるんだ」
「そういうことね。それじゃ急がないと」
 フィアが表情を明るくし、ルメイの背中を叩いた。フィアとルメイが駆け出す。フリオもついて行く。昨日の夜にあんな事があったのだから一人の道中は何かと不安であり、馬車で送ってもらえるなら頼もしい。


 俺も走り始めようとした矢先、白銀屋のホリーに呼び止められた。
「ちょっと待って! 貸した椅子を別の場所に移してたりしたら、返してね」
「椅子は二つともこの辺りに置いた」
「そう。それじゃ、行った行った!」
 ホリーは笑いながら俺を両手で押し出す仕草をした。なかなかしっかりした娘だ。その時ふと思いついたのは、この娘にはエルフの血が半分流れているのかもしれない、ということだ。まだ十代かと思われる若さで俺と変わらぬ背をして、美しい銀髪を伸ばし、耳を隠すように帽子を被っている。
 俺がその場に立ち止まっていたのはほんの短い時間だった。もし時間があるなら世間話でもして、君は銀筋川を見たことがあるか、と聞いてみたい気もするが、なにぶん急ぎの用事がある。背嚢を担ぎ直し、手を上げてホリーに挨拶をしてからフィアたちの後を追った。


 イルファーロの正門から外に出ると、壮観な光景に出くわした。
 街道に四頭立ての馬車が六台も並んでいて、しかも幌に同じ印がついている。短い角がついたドワーフ兜のマークはカリーム商会のものだ。
「すごいな!」
 思わず声をあげると、そばで立ち尽くして馬車を見ていたフィアも、そうね、と呟いた。馬車は幌をかけた大きな荷台のものばかりだが、一台だけ板張りで窓のついた客室仕立のものがあり、そのそばには軽騎兵が十騎以上整列している。客室の窓が開いて遠目にもグリムと判る男が顔を出し、こちらに向かって手を振った。軽騎兵のうちの一騎がそれに気付いて手綱をひねり、走り寄って来た。近寄るにつれてその装備が目に入ってくる。揃いの黒いクロスアーマーに頑丈そうな小手とブーツを身につけ、腰にはロングソードを吊るしている。良く見れば弓も背負っている。
 黒毛に鼻白の馬もよく手入れされていて、腹が締まって脚が太い。騎行する男の身のこなしから相当な手練れにみえる。


 軽騎兵はそばまで来ると馬から降りて俺の前に立った。馬はひとつ嘶いてからその場で足踏みをしている。
「セネカ殿ですね」
 近衛の若い士官のような男がまっすぐ俺を見るので、頷いた。俺は五番街からずっと走ってきて息を切らせていて、うまく物が言えない。
「警護隊長のコンラートと申します。昨夜はお手数をかけました」
 このコンラートという男とグリムの関係を推し量ることが出来た。口の端に力を入れながら頭を振って、こんなことを言う。
「すぐに思いつきを実行する困った人です」
 護衛役がいながら勝手に危ない場所へ行ってしまう雇い主に参っている様子だ。確かに昨夜の冒険は危険を伴うものだった。俺はコンラートに微笑を返して何度か頷いて見せた。


「ゴメリーを目の前にしても眉ひとつ動かさなかったと聞いております」
 コンラートが出してきた手を握り返した。彼は俺の手を両手に挟んだ。
「勇敢な人だ」
「カードで戦った彼の方が勇気があるさ。待っててくれてありがとう。フリオを送ってもらえるなら心強い」
「お安い御用です」
 コンラートはフィアと並んでいるフリオに向き直った。
「フリオさん、カオカの街まで送ります」 
 フリオがコンラートに礼を言ってから、俺たちの方へ振り向いた。
「セネカさん、ルメイさん、フィアさん、お世話になりました。またいつかお会いしましょう」
「元気でな」
 ルメイが目を細めてフリオを見ている。
「また来年のお祭で」
 フィアも小さく手を振っている。
 馬を牽きながら馬車へ戻って行くコンラートの後について、フリオが遠ざかって行った。途中で何度か振り返って手を振ってくる。最後には客室仕立の馬車の中に入っていった。


「グリムさんはカリーム商会の重役だったのね」
 動き出した馬車の群れを見ながらフィアが感心して言う。俺は余程、あれがカリームさんだよと言いたかったが、ルメイが困ると思って口を閉ざした。馬車は重い荷を積んでいる様子で地響きをたてながら走っていく。祭で売れる品物を運んできて売り抜け、帰り道にはイルファーロの特産品を買って帰るのだろう。馬車六台で荷を運べるなら、一度の行き来で相当の稼ぎが出る。ただしそれには短時間で円滑に取引を終わらせるだけの信用と、道中の護衛が必要になる。
「虫の甲羅、もう少し吹っかけたら良かったかな」
 そう呟くルメイの背中を笑いながらフィアが叩いた。
「そんなに欲張ったらだめでしょ」
 軽騎兵が早駆けで先行して見えなくなり、やがて馬車も土埃の中に消えて行った。


 埃っぽい道に取り残された俺たちに、いよいよ出発の時がきた。
「ここから俺たちの探索行が始まるわけだが」
 こちらを見ているルメイとフィアから視線を外してゆっくり周囲を見渡す。
 街から出てきた旅人と冒険者がひっきりなしに通り過ぎていく。街道には早朝の陽が射し、涼しい風が吹いている。さざ波を白く反射させているアリア川の流域に森が青々とひろがり、街が途切れたところから始まる林の中からは小鳥の囀りが聞こえている。旅立ちの朝だ。


 腰に吊るした重い袋を革鎧越しに掌底で叩いた。袋にぎっしり詰まった金はチャリチャリというような軽い音はせず、まるで金属の塊のように引き締まっている。久しぶりに食うや食わずの困窮から逃れ、自由な気分を味わった。当面は不自由なく暮らせるだけの蓄えがあるということは、なんと心強いことか。
「とりあえずザックの小屋に寄る。小屋で装備を整えてから、いざ冒険だ」
「いよいよね」
 フィアが勝気そうな瞳を輝かせて見返してくる。握った拳を宙に置くと、すかさず拳を当ててきた。首を傾けて不敵に笑っている。
「オオルリコガネが沢山いるといいな」
 ルメイが拳を出し、それに応える。
「狩場を知ってるのはフィアだ。道案内はフィアに頼む」
「了解。任せてくれてありがとう。取り敢えずカオカ遺跡へ行きましょう」
 フィアは細い肩にかかった重そうな背嚢の革帯を担ぎ直すと、先頭に立って歩き始めた。ルメイも背嚢の革帯に両手をかけてフィアについて行く。


 ザックはおそらくイルファーロで最年長の冒険者だ。
 エシャロットのような尖った禿頭をして、側頭に鳥の巣のような白髪を生やし、めっきり口数の減ったザックは軽く五十を越えているように見える。それでも十年ほど前までは大きなパーティーを率いてあちこちに出向いていた。特に体が大きいわけでもなく、剣の腕前があるわけでもなかったが、戦いに慣れていて当意即妙にパーティーをまとめるのが得意だった。分け前の配分も公平にするので冒険者連中からは信用されていたようだ。俺がこの街に来た時には既に狩場へは出なくなっていたので詳しいことは知らないが、ある日、ザックは大怪我をした。


 山賊と戦って負傷したのだ。棍棒で殴られたのか、矢に貫かれたのかそれは知らないが、以来ザックは右足を地面から上げずに歩かねばならなくなった。狩場へは足を踏み入れなくなった今でも、キルティングの布服の上に草摺りのない革鎧を着たザックは壮健に見え、軽く足を引きずっているだけで街なかでの暮らしに不便をしている様子はなさそうだ。しかし狩場ではそれが命取りとなる。
 怪我をして帰り、狩りに出られなくなった冒険者は悲惨である。もともと体ひとつが資本の稼業なのだ。さらに言えば、頼る相手も働き口もなくて危険な冒険者になる者が多いのだから、その道が閉ざされれば物乞いになるより他ない。たいていは野垂れ死にだ。


 狩りに出れなくなったザックは、イルファーロにほど近い土地を買い、人を使って林を開墾した。百歩四方ほどの土地に柵をめぐらせ、井戸を掘り、ザックが寝起きする掘立小屋と、夏の日差しと雨だけしのげる差し掛け小屋を幾つか建てた。それだけの金をためていたのだ。ちょうどイルファーロ街道からカオカ遺跡へ分かれる四つ辻がある場所だ。
 その土地はザックの小屋と呼ばれるようになった。武装が禁じられたイルファーロから出立する冒険者の多くは、そこで装備を整え、水筒の水を補充し、情報を交換しあってから探索へ出る。必要とあれば多少割高になるが焼き締めたパンなどの食糧も売られている。革袋や剣帯などの小物も手に入るが、これはイルファーロでは売り物にならない使い古しの品ばかりだ。


 街道を進むうちに、やがてザックの小屋が見えてきた。
 先を尖らせた太い木柵が巡らせてある敷地のうち、街道に面した場所には頑丈な木の門が設えてある。門は今、大きく開かれている。そこに椅子を置いてザックが腰かけ、中に入る者から一人につき銅貨一枚を取っている。今朝は入口が渋滞するほどの混みようで、差し掛け小屋からあぶれた冒険者たちが屋外で鎧を身につけているのが見える。ちょうど早立ちする時間帯なのだ。
「わたしここ初めて」
 フィアがぼそりと呟く。むさ苦しい冒険者たちが右往左往している中に入っていくのは、女としては怖いのだろう。俺はフィアにそっと声をかけた。
「ここに無法者はいないよ。どちらかと言えばその逆だ」
「そうなの?」
 フィアが不審そうな目でこちらを見る。


 俺は先頭に立ち、山分け袋から銅貨を三枚出してザックに手渡した。ザックが俺たちの顔を見渡してから、頷いて奥を手で指し示す。ザックは全ての手配書に目を通して把握している。ここにはお尋ね者は入れないのだ。俺の手配書の似顔絵が似ていたら、捕えられて衛兵に突き出されるだろう。ここは賞金稼ぎたちの根拠地になっているのだ。
 さらに言えば、冒険者のルールを破る者もここには立ち入ることが出来ない。探索地などの出先で仲間を殺して金品を奪う者、野営地でパーティーの金を盗む者、探索の途中で勝手にパーティーを抜ける者、そうした連中は世間に知れ渡った犯罪者とは言えず、よほど罪状を重ねない限り公に手配されることはない。当然、現行犯でない限り衛兵は関知しないが、賞金稼ぎはこれを許さない。仲間を殺した者は血の制裁を受け、或いは身ぐるみ剥がされて追放される。


 敷地の中に入ると、折よく一つの差し掛け小屋からパーティーが出てくるところに出くわした。俺は入れ替わりにそこへ入って場所を確保した。ルメイとフィアも入ってくる。
 小屋は四方に柱を立てて梁を渡し、斜めに板屋根をつけてある。壁はなく、床は張ってないので土間のままだが、腰かけられる長い板が張り渡してあり、梁には物をかけるフックが幾つも取り付けてある。
 ここに来たことがある俺とルメイは背嚢を置いて武器と小手を取り出した。剣帯と盾も出して腰かけに並べる。周りの様子を見ていたフィアも背嚢を置いて装備を取り出した。


 板に腰をおろして芯入りのブーツの紐を締め直す。剣帯を腰に回して締める。背嚢の上に丸めて乗せていた毛布からバスタードソードを抜き出して剣帯に差す。背嚢に括り付けていた丸盾を外して革帯を肩に掛ける。立ち上がってみて丸盾を保持する高さを調整する。そうして装備を整える間、ずっと左肩の様子を窺っている。昨日よりはましだが、手を上げようとするとまだ痛む。
 ルメイはブーツの紐を締め直し、小さなバックラーと短刀を腰に吊るすと、突起のないメイスを背嚢の脇にあるスリットに差し入れた。そこに入れておけば、いざという時に右手で柄を掴んで引き抜き、そのまま振り下ろすことが出来る。


 フィアが完全武装するのを初めて見た。
 体にフィットした革鎧に、肩当、草摺、腿当がついている。喉当と小手には金属の鋲が付いている。革鎧に板金を付けるところをよく見た。こういう装備を見るのは俺も初めてだ。
 胸のカーブを再現した金属板に何箇所か突起が出ていて、それを革鎧のハトメのついた穴に強く押し入れて保持する仕組みだ。フィアが板金を体に押し付け、突起の真上に両手の掌底を当てて自分の体にぐっと押しつけるのをルメイも物珍しそうに見ている。


 フィアは板金を左胸、右胸、腹、脇腹と順に取り付けていき、最後には背中にも数段の板金を取りつけた。板金の重なり合っている部分はそれぞれの縁が重なり合うようになっていて、体を傾けても上下が食い違わないように余分が相手の下に潜り込むように作ってある。
 フィアは前身頃をカバーする板金に結び付けてある革紐を束ねて勢い良く絞ると、固く縛った。後ろで束ねていた髪をさらに団子にまとめているので額も耳も見える。紐を強く縛るのに歯を食いしばっているフィアは、女々しさは感じられない凛々しい横顔をしている。


 板金は全身を完全に覆ってはいないが、急所をよく守り、かつ可能な限り軽く、動きやすく作られている。板金の厚さからすると、棍棒などの打撃にはあまり効果を発揮せず、槍の突きにも効果は薄いだろうが、斬撃、いわゆる撫で斬りには相当の防御を発揮する。重量のある金属鎧を装備できないフィアが辿りついた最適の防具がこれなのだろう。
 フィアは盾は持たず、腰に巻いた剣帯に短剣と短刀を吊るした。何が入っているか判らないが小さな革の物入れがベルトに並んで取り付けられている。背嚢からは弦を張っていない弓が見える。小さな物で威力がありそうには見えないが、狙いが正確なら頼もしい武器になる。俺やルメイと狩りのやり方は違うが、装備装束はなかなか頼もしい。


→つづき

戻る