ここから先はイルファーロ、王の統べる街。
 街の入口に飾りのついた大文字でそう書かれている。文字は馬車が通れるほど大きな正門の上にあり、その左右は衛兵の詰所につながっている。そこからさらに、イルファーロの街は外周を高い石塀に囲まれている。蟻の這い出る隙間もないかと言えばそうでもなく、港の辺りやスラムへつながる湿地、街道から回り込んだ林の周辺などに塀は無いが、馬車のような大きなものであれば出入りできる場所は限られている。デルティス街道とカオカ街道が交わる正門か、港から北の村々へつながる裏門の二か所だ。今、四頭立ての馬車が三台も正門の前を占めていて、衛兵たちがその積荷を確かめている。徒歩で街に入ろうとする者は足止めされて門の横に並ばされていた。











 最後尾に並んで何気なく自分の脇を叩く。革鎧越しに硬貨の音がする。銅貨を十枚ずつ小遣いとしてルメイと分け合い、それはベルトにくくられた物入れに入っているが、残りはすべて俺の脇に収まっている。俺たちの全財産だ。腕組みをして右の掌で硬貨の入った麻袋の膨らみを触りながら、忙しそうにしている衛兵の装備を習い性で確かめた。兜、胸当、腿当、肩当までが金属製で、小手とブーツは革製のものを身に着けている。二人一組で積荷の検査に当たっている衛兵のうち、先の一人が後ろの一人に槍を手渡して幌の中にまで入っていく。いつもより入念に調べている気がする。


「カリーム商会の馬車だな」
 並んで様子を見ているルメイが、幌に描かれたマークを見て言った。突起が幾つもついたドワーフ兜の印が三台の荷馬車に共通して付けられている。ルメイはそうしたことに特に詳しいが、このマークはたまたま俺も知っていた。カリーム商会は武器や防具を扱うことが多い。冒険者が多いせいだろうか、イルファーロには大量の武装が持ち込まれている。黒頭巾たちの装備を思い出した。目の前の馬車の中にある武装の一部が、ゴメリー親分の元にも届けられるのだろうか。想像していても詮無いことではあるが、こと武装のこととなるとどうしても気になる。


 二人目の衛兵は荷馬車のそばで待機している。その手に持った槍に目がいく。身の丈ほどのシャフトに木の葉型のブレードがついていて、その根元近くに鋭い楔のようなフックがついている。装備を見れば何がしたいか判る。イルファーロの衛兵の装備は、剣を装備した賊を追い立てて絡め捕るためのものだ。ブレードの先端は尖ったスピアポイントに仕上げてあるので、金属製の鎧でも刺し貫く。しかし衛兵がそれを使うことは滅多にない筈だ。酔って暴れる男を、逆手に持った槍の丸い石突で小突くのなら見たことがあるが。


 三台の荷馬車を調べるとなるとそれなりに時間がかかる。俺とルメイは待たされている間に背嚢を下し、ベルトから外した武器をその中に仕舞い込んだ。本来なら革鎧も外し、丸盾も背嚢に括り付けたままでは街の中に入れないのだが、防具に関してそこまでうるさく言う衛兵はいない。槍のような大きな武器を持つ冒険者は街の入口の脇に並んだ預かり屋に物を預けていかねばならないが、もちろん金を取られる。俺たちのような金回りのわるい冒険者は、装備も自然と軽いものが増える。


「そうか、今日は五番街の夜市だな」
 支度を終え、何かを指折り数えていたルメイがふいに口を開いた。イルファーロの五番街で春と秋の年に二度、夜市が開催される。商店が夜を徹して店を開け、通りには篝火が焚かれて屋台も出る。冒険者のような商いの資格がない者も物を売ることが許され、一面にござが敷かれて品物が並べられる。良い物も壊れ物も入り乱れる市ではあるが、相場に詳しい者には掘出物を手に入れる機会となる。ルメイなら何かを見つけられるかもしれない。来たついでに夜まで時間を潰して覗いてみるか、と声をかけたくなるが、あいにく元手がない。


 イルファーロの一番街は正面の高台にある。ディメント王から統治を託されている官吏たちの住む区画で、役人が詰める執政所、衛兵宿舎、裁判所などからなる。正面の入口から入ってすぐにある噴水広場の周辺にひろがる商店街は二番街と呼ばれている。三番街は港の辺りを、四番街は監獄がある地区を指す。そしてイルファーロの街で最も古い地区が五番街だ。住居と商店が入り混じった路地の細い区画で、その真ん中を欅の並木が貫いている。かつてイルファーロが小さな村だった時代がそのままに残されているのだ。











 ルメイが目くばせをして、数人前にいる大きな荷物を背負った男を顎で示した。冒険者ではない、町人風の身なりをしたまだ若い男で、細木で組み立てた背負籠に干した草や小枝を束ねたものを自分の頭より高く積み上げている。手の平ほどの枯草色の葉が細紐でまとめてあるが、あれは見覚えがある、傷に貼ってその上から包帯で巻いて使う薬草だ。小枝のように見えるのは、粉末にして飲む痛止めの散薬の材料だ。果物の皮のようなものを乾かして丁寧に束ねたものもあって、どんな効能があるかは知らないが、おそらく薬草の類であろう。そう思って見ていると、香草に似たツンとくる香りや、湿気た革のような複雑な匂いが交じり合って鼻先をかすめている。


「あれでひと財産だぜ」
 ルメイが横目で男の荷物を見分しながら呟く。高価な薬草は分銅で秤売りされることもある。それを背負籠に一杯持ち込むのだから、相当な金になるだろう。思わず盗人の気持ちになる。若者よ、ここがイルファーロの目の前で良かったな。そんな格好でスラムをうろついていたら、あっという間に荷物を強奪されてしまうだろう。そしてふと考える。ああした薬草の類はどこに生えているのか。薬草はいいな。コボルトのように手向かいしないものな。しかしそこは矢張り専門家の道があるのだろう。俺たちが生半に商売できる筈がない。


 ふと気づけば、並んでいる者たちは様々な品を運んでいる。毛布をやたら担いでいると思っていた男は、柄をよく見ればこれは敷物だ。様々な図案を施した毛織物を店先に垂れ下げている商店を見たことがある。小さめの背嚢をやたら重そうに担いでいる男もいる。中には何が入っているのだろうか。石材か、金属か、或いは陶器であろうか。五番街の夜市をあてにして、それぞれに大きな仕入れをしているのに違いない。今夜も相当な賑わいになるのだろう。この街に流れ着いた頃に初めて見た夜市の人出を思い出して懐かしくなった。


 ようやく荷馬車の検査が終わった。衛兵が手を振って通れと合図をすると、御者が馬に鞭をくれて馬車が動き始める。馬の嘶きと車輪の回る音で辺りが騒々しくなった。それを見送ってから、待たされて行列になっている者たちへ向けて衛兵が手招きをする。馬車が街の中に吸い込まれると、衛兵の詰所が正面に見える。そこに掲げられた王旗が風に揺れている。あの旗を見るとどうしても心の底に隠した古傷が痛む。


 衛兵は街に入ろうとする者たちの格好を一瞥して面倒そうに手真似で正門に押し出しながら、毎日口にしている決まり文句を感情が抜けきった言葉で繰り返している。ここから先はイルファーロ、王の統べる街、街なかで武器を出さぬこと、深酒しないこと、宿をとらぬ者は日没までに街の外へ出ること、秩序を乱す者は槍で追い返す、イルファーロにアブルールの御加護を。
 俺はアブルールの神も、あの旗も、どうにも好きになれない。











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