今日は夜市のお祭りとあって、街には人が溢れている。
 酒場を後にして二番街に繰り出した俺たち三人は、人の多さにいささか困惑した。出来れば人混みを避けたいところだが、新たに仲間になったフィアが言うには金ぴかツノムシを狩る罠の材料が足りないとのことで、急ぎシュロ縄や針金を仕入れる必要があった。また、虫の甲羅の下加工をルメイが手伝うことになり、そのために必要となる小刀や蜜蝋も買うことになった。ルメイはそれらの品々をどこで買い求めたら良いか知っていて、まずは一番大きな道具屋に行こうと言って先に歩き始めた。


 噴水の周囲にはいつもより多くの出店が所狭しと並んでいる。ルメイの後ろ姿を目で追いながら出店の列を眺めると、食べ物を売る者、木工の土産物を並べる店、首飾りや腕輪といった小物を扱う店などがひしめいている。それを見物しに町人たちが大勢繰り出していた。色とりどりの仕立て服を着た町人とは別に、冒険者たちの群れもあった。大抵は革の鎧や鎖帷子を身に着け、使い古した背嚢を担いでいる。それらの人の流れに、巡回をしている衛兵や長い外套に身を包んだ僧侶が混ざった。ルメイは上手に人の流れに乗って、俺たちを二番街の奥手にある路地に導いた。


 広場から一つ先の路地へ入って行き交う人は減ったが、商店は商店でいつもより品揃えを増して値引きの札を出していたので、裏通りの方まで人の流れは続いている。最初に入った大きな道具屋は冒険者によく知られた店で、広々とした間口に「ドンキーの雑貨屋」と書かれた看板がつけられ、入口の周囲には沢山の革帯が吊るされていた。店に入ってすぐのところに、毛布、小さな鍋、種火縄、ランタン、鉈、携帯用の食器などのキャンプ用品が陳列されている。そういう品々を見ればつい手にとってみたくなり、俺はランタンを買い替えたい衝動にかられたが、そんな余裕はないことを思い出した。


 ドンキーの雑貨屋で必要な品をほぼ揃えることが出来た。ただ蜜蝋だけは見当たらず、店の者に聞いてみようということになった。ルメイは精算場にいる若い男には目もくれず、裏方の倉庫に続いている扉を少し開けて奥に向かって声をかけた。
「すまんがこの辺りで蜜蝋を売ってる店があったら教えてもらえんかな」
 でっぷりと腹が出て、白髪を側頭に膨らませている男が扉から出てきた。
「蜜蝋な、昔はうちでも扱ってたが、もう一本奥の通りに細工物の専門店が出来てな。それ以来はやらんようになった。行ってみることだな」
「ありがとう」ルメイが礼を言って出口に向かおうとすると、店主らしいその男がさらに声をかけてきた。
「あんたら、冒険者だろう。五番街の夜市で物を売るなら、ござがいるよ。うちのは厚手で上物だぞ」
 男はちょうど売物のござを紐で縛っていたところらしく、手にしたござをルメイに掲げて見せた。これにはうきうきとした表情でフィアが答えた。
「ごめんなさい、もう買ってあるんです」
 フィアは上半身をひねって背嚢の上に束ねてあるござを店主に見せた。
「そうか、準備のいいことだな。正午には寺院の前で種なしパンが、深夜には五番街で酒が振る舞われる。せいぜい祭を楽しんで行ってくれ」
「はい、ありがとう」
 フィアがもう一度男に向き直って頭を下げた。


 ドンキーの雑貨屋を出て細工物を売る店まで歩く間、俺はちょっとした問題を考えていた。フィアは夜市に店を出すようだ。五番街の商店は人の波が引けた後も朝まで店を開けているが、ござに商品を並べた冒険者たちはさすがに夜も更けたら店じまいをして宿に戻る。イルファーロの宿は数あれど、どこもスラムの黒鹿亭よりお代が高い。俺とルメイは日が暮れたら物価の安いスラムに移る積りだったが、フィアのような若い女は物騒なスラムには行かない方がいい。今夜はフィアの夜市につきあって、その後イルファーロで宿をとらねばなるまい。出費のことを考えると頭が痛いが、この際仕方ないだろう。


 細工物を売る店の前には目立つ看板が無かった。しかし貼り紙がしてあってすぐそれと判った。宝剣、細工箱、高価買取中だそうだ。店の前でフィアが立ち止まり、俺とルメイに向かって振り向いた。
「ここ、わたしの甲羅を買い叩いた店」
 フィアは小声でそう言って、唇の片側にぎゅっと力を入れた。体にぴったりとフィットした革鎧を身に着けたフィアが、片手を腰に、片手の指を顔の前に一本立てて抗議している様はちょっと微笑ましい。ルメイが笑ってフィアの肩を叩いた。
「冒険者は商人とも戦わねばならんのだよ」
 シュロ縄や針金の束が入った袋を担いだルメイが先に店に入った。フィアは眉を吊り上げてからルメイの後を追った。フィアはほぼストレートの髪を後ろで束ねていて、金色の馬の尻尾がくるっと回った。


 細工物屋は雑貨屋のように安売りをしていなかった。客は誰もおらず、店主らしい痩せた男が奥のカウンターに座っている。男は手にした小箱を柔らかそうな布で拭っては光にかざして見ている。その所作はどうにも気ぜわしく、すぼめた口も細めた目からも、気さくな雰囲気は感じられなかった。お祭りなどはどこ吹く風とやり過ごし、お堅い商売を曲げていないようだ。陳列されている品物の単価は先刻の雑貨屋とは桁違いで、俺たちのような冒険者には高価で無用に過ぎる品ばかりだ。


 象嵌細工の小箱を見つけた。
 虫ならぬ、鼈甲からから削りだした飴色の小さな物入れに、金象嵌で花と蝶があしらってある。この拳ふたつ分ほどしかない豪華な小箱に仕舞って置くような品を、俺は持ち合わせていない。しかし窓から入る陽射しを受けて金の模様が輝き、半透明の箱を通過した陽光が陳列棚の木目を淡く照らしているのを見ると、なんとも上品な箱があったものだと見入ってしまう。この図案は、野辺の花々を軽快に渡ってゆく蝶の姿といったところか。そばにいたルメイが俺に目くばせをしたので、ルメイの見ている物の前に移った。


 短剣の鞘に、今なら判る、虫の甲羅を使った象嵌細工が施されている。硬い材質の木を黒く塗って鞘に仕立て、蛇の模様を彫刻し、そこに削り出した虫の甲羅を嵌めて磨いてある。磨き出しの技術が高いので、まるで木目を磨いていたら青緑の光沢のある蛇が自然に浮き出てきたかのように見える。ルメイが酒場で言っていた、甲羅の平らな部分に綺麗な模様があれば高く売れる、ということの意味が初めて判った。蛇は横長に象嵌されていて、見渡せば継ぎ目がないことが判る。これを作るには、手のひらほどの大きさの、傷のない一連の部品が無ければ仕上げることが出来ない。しかも抽出する部分を吟味してあって、虫の甲羅にある藍色の帯が、蛇の背の模様に見えるように位置取りしてある。フィアもそばにいて、目を見開いて細工を見ている。


「あなたたち、品物には手を触れないように気をつけて下さいよ」
 薄汚れたなりをした冒険者が用のなさそうな高額な品を飽きもせず眺めているので、店主が注意をした。ルメイが短剣から店主の方へ向き直った。
「俺たちのような冒険者には繊細過ぎて扱えませんが、実に見事な短剣です。銘は表示してないが、作風はアイトックスの老舗工房を彷彿させますな」
 痩せた店主が、ほう、と呟いてルメイをちらっと見た。
「仰る通り、アイトックスの産です。お目が高い」
「これと似たもので、両手剣の柄に火蜥蜴を象嵌したのを見たことがあります。図案の印象が似ていて、やはりオオルリコガネの甲羅を使った品でした」


 店主が持っていた小箱を机に置いてルメイの方を向いた。
「その両手剣と、そちらにある蛇の短剣と、二つともアイトックスの同じ工房の作品です。私はそちらの短剣しか仕入れることが出来ませんでしたがね。客人はお詳しいな」
「宝剣が好きなもので。このところ象嵌の材料にオオルリコガネが流行していますね」
「そうですな。もしかしてどこかの遺跡から、宝剣を手にいれたことがおありで? 或いは所有されているとか?」
 話に商売気が出てきて、店主は指を組んでテーブルの上に置き、すっかりルメイと話し込んでいる。


 ルメイはそれとなく店内を見渡している。
「あいにく象嵌細工の完成品は所有していませんが、オオルリコガネの甲羅を手に入れるつてに恵まれまして。今日は蜜蝋を購入しに来たのです」
 ルメイがそこまで話したところで、痩せた店主はフィアの姿に気づいた。
「あなたは先日の。なるほど、そういうことでしたか」
 背後の壁に小さな抽斗がびっしりと並ぶ作り付けの収納箪笥があり、店主がそこから丸い缶をひとつ取り出した。手のひらにちょうど乗るほどの大きさで、鈍い銀色をしている。
「蜜蝋ならこちらに。上質のものです」
「ちょっと見させてもらってもよろしいかな」
 店主は缶をルメイの方に押し出した。ルメイはそれを受け取って蓋を外し、山吹色をした蝋の表面を指で撫でた。それを指の腹で擦り合せて、なるほどと呟く。


「これを頂きましょう」
「ありがとうございます。銅二枚になります」
 ルメイが自分の腰に吊るした小銭入れから代金を支払った。店主は会計を済ませると、ルメイとフィアを交互に見ている。
「もし先日のような品をお持ちなら、ぜひ当店で扱わせて下さい」
「真っ先にお持ちしましょう。近いうちにまたお邪魔できそうです」
 ルメイが請け合い、フィアは作り笑いを浮かべている。
 俺たちは細工物を売る店を後にした。この次に虫の甲羅を持ち込んだ時は、あの店主もさすがに相手をみて物を言うだろう。


「これで取りあえずの品は揃ったかな?」
 通行人の少ない路地で二人に声をかけた。
「そうね、後でシュロ縄を買い足すことになるかもだけど、いっぺんには無理だから」
 シュロ縄は大きな束を二つも購入しているのだが、あれでも足りないというのか。フィアの言葉を聞いて、俺は少しだけ億劫になった。縄を編んで罠を作るそうだが、手先の器用なルメイならともかく、がさつな俺に手伝えるだろうか。剣を振るのとは勝手が違う。
「罠はどこで作ったらいいのかな」とルメイが聞く。
「五番街の宿に続き部屋をとってるから、そこで作るつもりよ」
「そういう部屋は高いだろうに、勿体ない」
 ルメイが口を撫でながら言う。これまでに俺とルメイでイルファーロに宿をとったのはほんの数回だし、続き部屋など一度も使ったことがない。
「今日は夜市のお祭りだから宿はどこも予約で一杯で、続き部屋しか残ってなかったの。一人で罠を編むつもりだったから、ちょうどいいかなと思って。セネカさんとルメイさんはどちらに宿を?」
「俺たちはお互い呼び捨てにするんだよ。年も、男女も関係なく」
 ルメイが優しく諭した。
「そうだった。セネカとルメイはどこに宿をとったの?」
 やはりこの話になったか。


「宿はとってない。夜にはスラムに引き上げようと思ってたんでね」
「え、夜市のお祭りを見ていかないの?」
 フィアが驚いた様子でこちらを見ている。俺はルメイと顔を見合わせた。そりゃお祭りは見てみたい。しかし自由になる金がないのに市を見てまわっても気が詰まるだけだ。俺は言いづらいことを言わざるを得なくなった。
「実はな、フィア、俺たちはここんとこ狩りがうまくいかなくて、手持ちの金が乏しい。当分食っていくだけの金はあるが、イルファーロに宿をとるのはちょっとした贅沢になるのさ」
「そうだったのね」
 フィアがこくんと頷いた。その表情には軽蔑も困惑もなかった。黒鹿亭から出てきた早立ちの冒険者たちが、馬小屋で寝ている俺たちを見たときのような憐憫の色もないし、とんだ貧乏パーティーに拾われたという不満の表情もない。切実な現実だけを受け止めている表情だ。フィアはいい子だなと思った。


「それならわたしの部屋に来て。高い部屋だけど、三人までは割増なしって言われてるの。ただ、夜市と関係ないお客さんもいるから、深夜に戻ってくる時は静かにして、騒がないようにって言われてるだけ」
 俺はなんと返答したものか迷った。立場が逆なら当然同じことを言う。しかしここでほいほいと返事をするのはいかにも調子が良い気がした。パーティーを組む前にそれぞれが稼いだ金は、当然それぞれの所有に帰すべきという思いもある。
「何を迷ってるの。パーティーなんでしょ?」
 フィアが口を引き結び、目を細めた。
「それはそうだな……」
 煮え切らない返事を返したら、鋲のついたグローブで腹をぼふっと殴られた。
「わたしがどんな思いで酒場にいたと思ってるの? どうしても人手が欲しくて命を預ける相手を探していたのよ? 狩りをする時は背中を任せるし、野宿の日もあるよ? 声をかけた後だって、相手を間違えてないか暫くは不安だったんだからね?」
「うん。そうだ。フィアの言う通りだ。フィアの部屋に入れてくれ」
 俺は降参して素直にお願いをした。金が無いというのはなんと切ないことか。
「当たり前でしょう、そんなの。パーティーなのよ。とりあえず宿に寄って荷物を置いてきましょう」
 フィアが笑顔に戻って答える。もしかしてフィアはこれが初めてのパーティーなのかもしれない。俺が知っているパーティーというものは、よほど長期で安定しているものでない限り、フィアが言うような全幅の信頼が置けるものではなかった。しかし余計なことは言わないでおく。


「それに、わたしがお願いしたいこともあるの。女が一人で夜市に品を並べてるといちいち舐められてかなわないから、セネカには用心棒をしてもらいたいし、ルメイには値札を書くのを手伝って欲しい」
「お安い御用だよ」ルメイが頷いて答える。
「よかった。ずっと一人で店番してるのは大変なのよ。今年は楽しいお祭りになりそう」 
 フィアがにっと笑った。とても今日初めてパーティーに加わった相手とは思えなかった。フィアを仲間に出来たのは俺たちにとっても幸運だった。昨日までは自分たちを落ち目の冒険者としか思えなかったが、今日は気持ちが違う。役に立てることがあるというのは嬉しいものだ。なんとしてでも狩りを成功させて暮らしを立てなければ。でも今日のところは、フィアの楽しみに付き合ってやろう。


「もうそろそろ正午だけど、パンが振る舞われるって話だよね」
 ルメイがぼそぼそっと言う。フィアは驚いた顔をしてルメイの背中を叩いた。
「まだ食べるの!」
「いや、食べるというか、見聞をひろめておこうと思ってさ……」
 ルメイが先細りする口調で言うと、フィアが明るく請け負った。
「実はわたしも食べてみたかったのよ。でも女ひとりじゃあれでしょう? 広場に行こう。まだ間に合うわ」
 すっかり陽気になったフィアが先に立って歩き始めた。
「去年は火移しの儀式を見ただけだったの。そのすぐ後、クォパティ寺院の前で炊き出しをして、薄く焼いた種なしパンに色んな具を挟んで配るのよ」
「火移しの儀式?」と俺は言った。「聞いたことがないな」
「イルファーロ市長がディメント王から預かっている行政権を、旧暦で春分と秋分にあたる日に、クォパティ寺院の司教に一日だけ返還するの。それが五番街の夜市の起源よ。その儀式を噴水広場で執り行うの」
 夜市の日は昼頃からやたらに人が多いとは思っていたが、そういう儀式をやっているのは知らなかった。


 フィアが歩きながら振り向いてぱちんと手を打った。
「そうか、わたしたち三人のパーティーになったのだから、夜市の振る舞い酒も交代で飲めるわね」
「ただ酒が飲めるのか」ルメイが食いついてくる。
「そうよ。旧市街の教会前で、ファインマンさんが葡萄酒の大樽を八つ開けてくれるの。ファインマンさんは葡萄酒協会の会長で、イルファーロで最古参のエルフなのよ」
「それは豪勢だな」とルメイが嬉しそうに言う。
 二人はどうか知らないが、俺はエルフという言葉に歴史を感じざるを得ない。かつてドラグーン人が大陸をほぼ統一して、やがて滅んだ。その後、アイトックスからイルファーロ、デルティス、カオカなどを含む東岸地方は人間の王が統治することとなり、人間以外の種族は苦境に立たされて辺境に散っていった。数百年前まではこの地方にもエルフやドワーフ、ポークルといった種族が住み着いていたのだが、今ではほんの一握りしか残っていない。








→つづく

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