ドアにノックの音がした。
 フィアが返事をして入口まで出向いた。俺たちもベランダから応接室に戻った。開いたドアの向こうに女性が立っている。紫と白の細いストライプの入った涼しげなドレスを着ていて、立襟に控えめなレースがついている。年の頃は四十程であろうか、手にバスケットを持っている。
「そろそろお食事の時間ですが、準備をさせて頂いてよろしいですか?」
「はい。お願いします」
 フィアが下がると、俺たちに気づいた女性が会釈をした。
「ようこそおいでくださいました。わたしが当館の主です。エリーゼと呼んでくださいね」
 ルメイが上品に会釈を返して、今夜はよろしくお願いします、と応えた。俺はこの手の応接が苦手なので笑みを浮かべて半歩さがったが、顔が引きつっていないことを祈るばかりだ。
「すぐ準備いたしますので、お席についてお待ちください」
 フィアがさっと居間に戻って出しっぱなしになっていた俺とルメイの革鎧をバルコニーに出した。悪い子をつまみ出したように見える。


 ルメイが居間にある丸テーブルの壁際の席に腰を下ろした。俺は一番手前の椅子を引いたが、何気ない仕草で、だが確固とした感じでルメイが奥の席を示すので、回り込んでそちらの席に座った。このところ精彩を欠いているが、そういえば一応パーティーのリーダーだった。フィアはベランダから戻って窓際の席に座った。エリーゼと名乗った女主人は壁に立てかけてあった細い棒でテーブルの真上にある小さなシャンデリアを引き下ろした。チェーンとフックで高さを調節できる作りになっていて、車輪のような細い架台に八個の燭台が付いている。


「皆さん今夜は五番街の市を見物に?」
 エリーゼは壁の燭台から蝋燭を取り、手慣れた仕草で火を移していく。手仕事がやり易いように七部までつづめた袖先に、襟と同じ模様のレースがあしらわれている。俺は服飾には詳しくないが、きちんとした女主人らしい、折り目正しい格好に見える。
「はい。わたしたちも少しだけ露店に参加するのですよ」
「そうでしたか。どんな宝物が並ぶのかしら」
 部屋が明るくなってテーブルの上が温かい色で包まれた。椅子の影が引き締まる。窓の外には暗がりが広がっていて、欅の枝葉の形に漆黒が浮き上がっている。
「大した物ではないですけど、アクセサリーとか綺麗な石とかを少し」
 フィアが遠慮がちに言うと、女主人は俺でも社交辞令とわかる口調で、それはよいことでしたね、と答えた。


 エリーゼは真白いテーブルクロスを広げて位置を直しながら、フィアに向かって声をかけた。
「冒険は順調のご様子ね?」
「はい。なんとか」
「今日は殿方もご一緒で頼もしいことですわ」
 エリーゼが澄まし顔で言うと、フィアは少し照れた様子をみせた。どうも顔馴染みらしい。二人がお茶を飲みながら話に花を咲かせているところが目に浮かんでくる。
「エリーゼさんは通りの向かいにある道具屋も経営してて、わたしはその両方でお世話になってるの」フィアが俺たちに向かって言う。
「お世話なんてとんでもない。いつも贔屓にしてもらっていますわ」
 ルメイはふんふんと頷きながら笑顔で聞いているが、俺は品定めされているようでどうにも落ち着かない。しかし考えようによっては悪くないことか。ずっと一人だったフィアがパーティーを組んでいるので、信用できる相手か気になるのだろう。フィアの心配をしているのなら、フィアの仲間といえる。


 エリーゼがバスケットから出した食器を並べて回る。真新しいナイフが蝋燭の光をてらてらと反射している。この部屋の調度と女主人のきちんとした身なりを見ていると自分の武骨な服装が気になってくるが、同じような格好をしているルメイはまったく落ち着いたものだ。
「入口の看板、相当に年季が入っていますね。こちらのホテルはさぞや由緒のあるホテルとお見受けしますが」
 こういう言葉がすらすらと出てくるあたり、ルメイという男はどういう境遇だったのかといろいろ想像してしまう。
「王朝の前の時代から代々商いをさせてもらっています。こちらのホテルは父から譲り受けました」
「それはそれは」ルメイが感心した声をだす。
「この街で暮らしていると冒険のお話が聞けて楽しいですわ。荒野をゆく気持ちは、わたしには本の中でしか味わえませんもの」
 エリーゼが自然に微笑んだ。


 またしても冒険の話である。自分自身が冒険者をしているからなかなか気付かないが、イルファーロにもともと住んでいるのは冒険など縁もゆかりもない人たちなのだ。彼らの目に俺たちの暮らしはどう映っているのだろう。エリーゼは荒野をゆく気持ち、と言ったが、まともな暮らしをしていれば荒野どころか、街道沿いの旅すら滅多にしない筈だ。フリオ青年が薬草屋の店先で、この街に行商に来ること自体が冒険と言っていたように。安全な街で暮らし、まっとうな仕事に就いている彼らが口にする冒険という言葉には、相当な量の甘美が含まれているようだ。俺はその冒険とやらにどっぷり首までつかっているわけだが、これまで目にしてきたものと言えば、モンスターに仲間の死、裏切り、諍いといったものばかりだ。


「それではお料理をお持ちしますね」
 支度を終えたエリーゼが部屋を出ていくと、ほどなくして給仕の係が階段を上ってきた。紺色のワンピースに付袖をして、白いエプロンをかけたメイドが二人、料理が乗ったトレーを持って部屋に入ってくる。葡萄酒の瓶を持ったエリーゼもその後に控えている。女ばかり三人で大儀そうに運んでいるので思わず腰をあげそうになったが、思い直して席に座って見守った。フィアは行儀よく座って待っているし、ルメイは幸福そうな顔をして揉み手をしている。


 テーブルの上に料理が並べられると、うまそうな匂いがして思わず唇を舐めたが、料理の名前がわからない。一口で頬張れるほどの大きさに切った堅焼きパンの輪切りの上に、チーズや肉のパテなどが乗っている。別のもっと大きめの皿には、魚の切身に小麦粉を振って焼いてあり、その脇に炒めたアスパラガスが添えられている。これはさっきフィアが言っていた平目のムニエルだろう。さすがにビーフシチューは判る。褐色のソースで牛肉とポテト、玉ねぎ、人参、ブロッコリーなどが煮込んである。軍務についていた頃は兵舎で食事をしたが、こんなに手のこんだ食事は出されたことがなかった。配膳を終わらせた二人のメイドは早々に立ち去っていった。


「厨房が遠いので一度にお持ちしました。ご勘弁ください。お飲み物は何を?」
 エリーゼがバスケットに入っている何本かの瓶を見せた。フィアが俺とルメイを見る。ルメイが手真似で任せるというので、俺もならった。
「たくさんは頂きません。こちらの白で」
 フィアが迷わずにひとつを選んで示した。エリーゼがにっこり笑って栓を抜く。
「それではこちらを一本置いておきます。あとで係の者が食器を下げに参りますので、ごゆっくりどうぞ」
 エリーゼが会釈をして去った。この時間帯は給仕で目が回るほど忙しい筈だが、なんとも優雅な物腰である。


 フィアが注いでくれた葡萄酒で乾杯をした。
「俺たちの冒険に」
 すぐには料理に手をつけず、葡萄酒の入ったグラスを口にしながら暫く二人の様子を見てみる。フィアもルメイも寛いだ様子でうまそうに料理を口に運んでいるが、背筋を伸ばして器用にナイフとフォークを使っている。大げさに言えば冒険者の食卓というより、どこかの晩餐会にいるような気がする。スラムの連中の食事中の行儀のわるさは目に余るものがあるが、それにしてもフィアとルメイは上品過ぎると思う。


「兵隊式でやっつけていいかい?」と声をかけた。
「兵隊式って?」とフィア。いつも少し下りている瞼が開いている。
「好きにしたらいいさ」とルメイ。含み笑いをしながら首をわずかに横に振っている。
 俺はムニエルとやらに何度かナイフを入れて小分けし、アスパラガスも半分に切ってナイフを置いた。おもむろにフォークを利き手に持ち替えて気楽に食べ始める。ムニエルは焼けた粉が香ばしい。歯ごたえがあって、レモンの風味がする。中の白身は柔らかく、塩と胡椒がきいている。


「前から思ってたんだが、ルメイはこれまでにいい物を食ってきてるよな。そしておそらくフィアも。二人とも飯を食ってる時は冒険者には見えないぜ」
「あら、育ちの良さが出てしまったかしら?」
 フィアがことさらに上品ぶって平目の切身を口に運んだ。グラスを揺らして匂いを嗅いでから葡萄酒を一口飲むところまでやってみせて、思わずくすりと笑っている。ルメイは笑いながら敢えて無作法に、フォークで刺したアスパラガスを空中でくるりと回してから口に入れた。食事の作法はともかく、二人のパーティーが三人になって実に愉快だ。


「それにしても、今日はうまい物がたらふく食えて幸せだな」
 俺はビーフシチューの肉を噛みしめながら、両手をテーブルにおいてしみじみと言った。 
「まったくだよ。昨日は結局パンふたつだったものな。フィアに感謝しないと」
 俺たちの言葉を聞いて、フィアがすっと真顔に戻った。
「今日はなんだか二人に感謝されてばかりのような気がするけど、本当に感謝しているのはわたしなのよ」
 俺は思い当たる節がなくて小首を傾げた。
「今のところ余りお役に立てていない気もするけど?」
 イルファーロに宿がとれたのも、豪勢なディナーにありつけたのも、すべてフィアのお蔭だ。罠網を編むのが下手なのも大目に見てもらった。すぐに返事が返ってくるものと思ったら、フィアは何も言わずに静かに食事を続けている。何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。ルメイも気にしてふとフィアを見る。


 フィアは無表情に食事を続けながら、小声で話した。
「わたしは昨日も、一昨日も、去年の夜市も、毎日毎日食事をしてきたわ。いつも独りで、自分が物を噛む音を聞きながら」
 フィアがいきなり十歳も年をとったように見えた。すぐには返答が思いつかなかった。旅回りの一座の劇は幕間にさしかかったらしく、哀調の調べが奏でられている。そのメロディに乗った歌が、窓からよそよそしく入ってきた。


 さても面白き夜かな
 無聊にかまけて秘密を話そうぞ
 無言を守るはただ墓のみ
 心に秘めた言霊は
 枷を外れてまろび出る
 ましてこの煌々たる月夜
 久方振りのまろうどに
 問わず語りの物語


「それは寂しかっただろうね」とルメイが呟く。
「俺も一人の頃はあったけど、ひと月くらいだったな」と言いながら、いったいどんな理由で、どれだけの年月をフィアが一人で過ごしたのか、気になりつつも聞けずにいる。フィアは唇にぎゅっと力を入れていたが、ひとつゆっくり瞬きをして元にもどった。
「せっかくおいしい料理を食べている時にごめんなさいね。今夜の食事はとても楽しいわ」
 いくらか鼻声のような気がする。しかしフィアは泣いたりはしなかった。
「気にするなって」ルメイが何事もなかったように食事を続けた。
 教会前の劇場で二幕目が開いたらしく、静まり返った後に役者があげる大声が聞こえてきた。囃したてる拍手と指笛の響きが辺りを包み込む様が窓から賑やかに伝わってきた。



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